学校長コラム「学校長の一膳講座」

おはぎ

2021年09月09日(木)

 9月の祝日である「秋分の日」は、日本の暦では雑節のひとつである「お彼岸」です。お彼岸とは昼と夜の長さが同じになるこの日を中日(ちゅうにち)として、前後3日間の「あの世へのゲートが開く」1週間のことで、ご先祖様の供養にお墓参りをする習慣があります。仏教行事ですがこれは日本独特の風習です。

 このお彼岸に食べるものといえば「おはぎ」。もち米を蒸かして軽く搗き、邪気を払うといわれている小豆から作った甘いあんこで包んだ食べ物で、皆さんもきっと一度は食べたことがあるのではないでしょうか。おはぎはもち米をお餅になるまで完全に搗かずに、粒が残る程度にとどめます。こういう搗き方には昔から「半殺し」という恐ろしい名前がついています。

 「おはぎ」と同じような食べ物に「ぼた餅」というものがあります。これもおはぎと全く製法が同じで、見た目にも何も違いがないように見えます。実は「おはぎ」と「ぼた餅」は同じ食べ物なのです。

 昼と夜の長さが同じになる「お彼岸」は、春にもあります。3月の祝日である「春分の日」がそうです。この時にも秋の彼岸と同じように小豆餡で包んだもち米を食べます。春は牡丹の花の季節なので「牡丹餅(ぼた餅)」、秋は萩の花の季節なので「おはぎ」と名前が変わるのです。あえて違いをいうならぼた餅は「粒あん」の場合が多く、おはぎは「こしあん」が主流です。これは小豆の旬の季節が晩秋から初冬のため、春のぼた餅は出来立ての小豆を使うので皮まで軟らかくつくれるからです。

 おはぎやぼた餅は夏や冬にもおやつ代わりに食べることがあります。夏のおはぎは「夜舟(よふね)」、冬のおはぎは「北窓(きたまど)」と呼ばれます。この理由は先ほどの「半殺し」にあります。おはぎのもち米は半殺しのためお餅と違って音を立てて搗きません。そのためいつ搗いたのかわりませんね。夜に舟を出すと暗いのでいつ着いたかわからない、すなわち「着き知らず→搗きしらず」。北側の窓には月は出ないため、「月知らず→搗きしらず」という言葉遊びがその発祥のようです。同じ食べ物でも季節によって名前が変わるのは、とても面白いですね。

 地方によってはきな粉をまぶしたり、胡麻をつけたり、枝豆を使った「ずんだ餡」を使ったりといろいろなバリエーションがあります。また最近ではおはぎの専門店も誕生し、様々な食材や形をしたとても美しく美味しいおはぎを売り物にするお店も誕生しています。

 皆さんも9月のお彼岸、3月のお彼岸にはぜひおはぎ・ぼた餅をたべて息災にお過ごしください。

米食と麦食

2021年08月27日(金)

 和食の基本は「お米」です。和食はお米を美味しく食べる料理とも言えますね。それに比べて洋食の主食はパンやパスタなどの「小麦」製品が主流です。今回はこの米食と麦食の食文化を比べてみましょう。

 小麦は畑で作られます。化学肥料などがなかった古代では、一度麦を収穫すると土壌の栄養分がなくなるため、その畑はしばらくお休み(休耕)する必要がありました。そこで古代人は休耕地で羊や牛などの家畜を飼うことを思いつきます。家畜は雑草を食べてくれるし、その糞でまた畑に栄養分が回復するからです。こうして小麦を食べる食文化には家畜の肉や乳製品などが一緒に食べられるようになります。つまり小麦食文化はその起源から肉食・乳製品とセットで進化してきました。これが現代の洋食文化のルーツです。

 それに比べて米は水田で栽培されます。米を作るには水が不可欠です。稲の栄養分は川から引いた水に溶けているので休耕の必要はありません。田んぼにつながる川には鮒や鮎、沢蟹、田螺(たにし)などの水棲生物が一緒に収穫されます。また田んぼの畔にはさまざまな野草が生い茂るため、米食文化は魚や貝類、野菜とセットで進化してきました。この起源が和食に魚や野菜が多く使われる理由の一つと考えられています。

 麦はその粒が小さく、殻をむくことが困難なため、粉にして食されてきました。粉に水などを加えて練り上げれば、パンやパスタ、ピザやうどんなど加工が簡単です。それに比べて米は籾殻を外すのが容易なため、粒のまま調理する粒食が主流になります。また、精米の際にでる米ぬかを漬物の漬け床に使ったり、稲わらで草履を編んだりと、余すことなく使用する知恵が発達してきました。

 日本では約3000年以上前の縄文時代後期から稲作が始まりました。日本人は3000年以上もお米を食べて生活しているのです。パンの起源はもっと古く、約6000年以上前のメソポタミア文明において小麦粉を水で溶いて焼き固める製法が確立し、その後古代エジプト文明ではすでに発酵させたパン作りがされていたようです。

 文明が進化し、どこの国でも何でも食べられる時代になりましたが、私たちの日本人の先祖が3000年以上も米を主食にしてきた記憶は深くその身体やDNAに刻み込まれています。日本では僅か50年前まではほとんどの家庭でご飯が主食の生活をしていましたが、最近では和食離れが進み、ご飯を炊かない家庭も増えています。食生活は人々の健康に直結する文化です。やはり日本人はお米を食べて健康で長寿に過ごせるのではないでしょうか。

 今日は、ご飯を炊いて漬物とお味噌汁の食事をしてみませんか?

麦は粉にして加工します


米は粒のまま調理されます

「餃子」が和食になる日

2020年11月13日(金)

 一膳講座の第3回でもご紹介したように、ラーメンはすっかり日本食として定着してきました。そこで今回はラーメンのお供である「餃子」のお話です。

 餃子の歴史はラーメンよりずっと古く、今から約2600年前の紀元前6世紀ごろに中国北部の山東省で誕生したと考えられています。日本に入ってきたのは、江戸時代初期。ラーメンと一緒に紹介されました。そのため、日本で初めて餃子を食べたのは、ラーメンと同様「徳川光圀」であるといわれています。

 餃子には、日本でおなじみの焼き餃子以外に、水餃子(茹で餃子)・揚げ餃子・蒸し餃子など、様々な楽しみ方がありますよね。本場中国の主流は「水餃子」です。皮を厚めに作りまさに主食として食べられています。一説には焼き餃子は前の日に家庭で作った水餃子を、翌日に焼き直して食べたことがその起源だそうです。

 日本で餃子が良く食べられるようになったのは、第2次世界大戦以降のことです。終戦で中国北部の満州から引き揚げてきた人たちが国内に広く普及しました。日本はご飯が主食でしたから、水餃子よりもご飯のおかずになる焼き餃子の方が重宝されました。ですから皮が薄い「焼き餃子」に「白ご飯」をたべるのは日本人独特の食べ方で、中国では「日式餃子」とも呼ばれています。その意味では、いつも私たちが楽しんでいる「焼き餃子」は、ある意味ですでに日本風に進化したものだと言えると思います。

 日本国内で「餃子の街」といえば、やはり栃木県の宇都宮市でしょう。戦争中中国満州地方に駐屯していた日本陸軍第十四師団が宇都宮に帰国し、中国で慣れ親しんだ餃子を普及しました。総務省の統計によれば、宇都宮市は年間餃子消費量が数年連続日本一となるなど、現在ではすっかり「餃子の街」として有名になりました。私も先月宇都宮市を訪問し、2日間で6軒の餃子を食べ歩きしてきました。どの店も特長やこだわりがあり、「さすが餃子の街」という印象でした。味もさることながら、私が一番感動したのはその値段の安さ!一人前(平均6個)でだいたい300円程度です。市内で有名なお店「餃子のみんみん」を例にあげると、メニューは「焼き餃子・水餃子・揚げ餃子」にご飯とビールのみというシンプルなもので、餃子はすべて一人前税込み270円。写真の通り焼き餃子・水餃子合計2人前とご飯でなんと700円で満足できるのがうれしかったです。

 餃子はたいぶ日本風に進化しているものの、ラーメンに比べれば変化できる部分が少ないためか、まだ「中華料理」という印象が強いですよね。日本各地に特長のある餃子が誕生しはじめていますので、いつの日か餃子も「日本食」となる日が来ることでしょう。

宇都宮の餃子有名店「みんみん」の
焼き餃子と水餃子

「焼きそば」

2020年10月27日(火)

 今回は焼きそばのお話です。この時期神社の秋祭りや縁日の屋台などでよくお目にかかりますよね。焼きそばは主に蒸した中華麺を鉄板などで焼いて作る料理で、そのルーツは中華料理の炒麺(チャーメン)にあるといわれていますが、日本国内に定着して全国各地で様々な進化を遂げ、いまではラーメンと同様すっかり「日本食」になっています。最近では「B級グルメグランプリ」などの催しには欠くことのできない料理となりました。全国津々浦々に数ある焼きそばの中から、「日本三大焼きそば」を紹介します。

 まず初めは、静岡県富士宮市の郷土料理「富士宮焼きそば」。その一番の特徴は「コシがしっかりとある、もちもちの麺」にあります。これは麺を茹でずに生麺のまま調理するので、水分が少なくなるためです。麺をラードで炒め、ラードを絞った後の油かすを具材に使い、最後に「だし粉」といわれる乾燥させた鰯を削った粉をかけて食べます。この「だし粉」は以前紹介した「静岡おでん」に使われるものと同じもので、静岡県民にとってなくてはならない調味料のようです。富士宮焼きそばはB級グルメ大会で2度のグランプリを受賞しています。

 二つ目は秋田県横手市の「横手やきそば」。甘口のウスターソースで味付けされたこの焼きそばは、豚ひき肉を具材にして、つゆを多めにかけてある、食べやすい焼きそばです。いちばんの特徴は、焼そばの上に目玉焼きをのせ、福神漬けが添えられていること。普通焼きそばに添えるのは紅しょうがですが、福神漬けが添えられているとグッと和食感が増しますね。地元の方は目玉焼きの黄身を崩して麺と絡めて食べるのだそうです。こちらもB級グルメ大会で優勝1回、準優勝1回という輝かしい評価を受けています。

 三つ目は群馬県太田市の「太田焼きそば」。この焼きそばは見た目の色がとても濃いのですぐわかります。理由はお店ごとに工夫されている「秘伝濃厚ソース」にあるのだそうです。具材はほとんどキャベツのみのシンプルな焼きそばですが、そのぶん麺とソースの美味さが特長となっています。添え物も青のりと紅しょうがという、とてもオーソドックスな組み合わせ。いわゆる全国の屋台で食べる一番スタンダードな焼きそばに近く、この三大焼きそばの中で私の一番のお気に入りです。

 これら三大焼きそば以外にも、日本全国に50種類以上の「ご当地焼きそば」があります。塩味やカレー味、麻婆味などの味付けの変化に加え、具材もポテトや桜エビなど地元の特産物を入れたものなど、そのバリエーションはラーメンの変化を超えると思います。皆さんも、国内を旅行した時にはぜひご当地の焼きそばを楽しんでみてください。

だし粉が特徴の「富士宮焼きそば」


目玉焼きがのった「横手やきそば」


見た目が黒い「太田焼きそば」

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